ずっとげーむしてたい

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ゲームメインのゆる~い趣味ブログ

【ゴーストオブツシマ】ストーリー感想 「誉れ」とは、「冥人」とは、について考える。

 

 

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【この記事には「ゴーストオブツシマ」のストーリーのネタバレが含まれています】

 

 

こんにちは、こーき7です。

 

 

今さらながら、ようやく

「ゴーストオブツシマ」のメインストーリーをクリアしました!

 

ダウンロード版を予約して

発売日の午前0時から1番乗りのタイミングで遊び始めたにも関わらず

ストーリーをだいたい7割くらいまで遊んだところで

他のゲームに手を出し始めてツシマを放置しちゃってたんですよねw

 

 

しかし、アップデートで新難易度や新モードが続々と追加されているのもあって

「さすがにそろそろストーリー終わらせとかなきゃな」

ってことで、11月の連休を使ってイッキにエンディングまで到達しました。

 

 

いやほんとに、改めて最高の神ゲーですねこれ...

 

 

というわけで今回は、

「ゴーストオブツシマ ストーリー感想」の記事です。

 

テーマは、

「誉れとは、冥人とは、」です。

 

ゲームの面白さのレビューというよりは

単純にストーリーの感想になりそうです。

 

それでは、よろしくどーぞっ!

 

 

 

 

英雄としての冥人

 

闇に紛れて背後から敵を討つ。

 

武士とはほど遠いその戦い方に「誉れ」はないかもしれませんが

多くの対馬の民の命を何度も救う冥人は

結果として、人々から英雄として慕われるようになります。

 

 

プレイヤーであるぼくたちからしても

暗殺によって正義を執行する系の設定は

映画やマンガではもちろん、

ゲームでも「アサシンクリード」などで見慣れてますので

 

「英雄としての冥人」に違和感を感じることはそんなになかったと思います。

 

ストーリー序盤から叔父上が「誉れ」「誉れ」と何度も言いますが

 

「いやだから、誉れじゃ誰も守れてへんやん!」

「あいつら(蒙古)がムチャクチャするんやから、こっちも手段選んどる場合ちゃうやろ!」

 

ていう感じで、この世界観において

「冥人こそ真の正義」みたいな感覚を持つようになります。

主人公ですしね。自然な流れです。

 

 

 

そして、その「冥人をしたう人々」のアイコンとして

ストーリー中で描かれているのが”ゆな”の弟、”たか”です。

 

 

初めて冥人の戦いを目にしたときの”たか”は

 

「お侍様の戦い方じゃない...…」

と、その残忍さに怯えた様子でしたが

 

竜三の罠にハマった仁と共に

ハーンに捉えられた時には

 

「冥人は英雄だ!!」

 

と言い放ち、

 

自分の命を顧みずにハーンに切りかかります。

磔(はりつけ)にされている仁を切れば、自分の命は助かるかもしれない状況で

仁にも「逃げよ」と言われていた中でのこの行動は

 

対馬を蒙古から救えるのは冥人しかいない

という確信と

 

自分の立場を危うくしてでも誰かを助けるために戦う

冥人への憧れからきているのでしょう。

”たか”にとっては、姉である”ゆな”も同じように

憧れの冥人でしたね。

 

 

 

しかし、この”たか”の死を境に

冥人は単なる英雄ではなくなっていきます。

 

 

 

謀反者としての冥人

 

確実に兵が犠牲になる事を分かっていながら

正面から突破しようとする志村のやり方に我慢できなくなり

 

”ゆな”と協力し、独断で蒙古の酒に毒を盛った上に

志村の跡を継ぐことを断ったために、

仁は謀反者として捕らえられてしまいます。

 

 

 

まさに冥人のやり方ではあるのですが

仁が父と慕う志村の想いを裏切ってまで、強行的にこのような行動を起こしたのは

 

たかの死を目の当たりにし

蒙古への恨みが最大以上にまで高まっていたからでしょう。

 

そして、それはゆなも同じです。

この2人で話しを進めると、相乗効果で冥人の闇がさらに増している感覚がありますね。

 

リーダーとして、対馬全体のこれからの事や

さらには本土の事まで考えて、

どんな状況でも武士らしくあることが最良だと信じている志村に対して

 

仁とゆなは、

これ以上仲間が蒙古に殺されるのを見たくはないという気持ちと

たかを殺した蒙古軍、そしてハーンへの復讐心が行動を選択する理由になっているように見えました。

 

 

もちろん、民があってこその対馬ですし

ここで蒙古軍をつぶしておかないと、今度は本土が戦場になりますので

冥人の戦いが悪であるわけではまったくないと思います。

 

対馬を守ろうとするのは志村も同じなので

それまでは共に戦えていたのですが、

毒を盛るというやり方はさすがにやり過ぎだったのかもしれません。

 

 

民を守ったのです。という仁に対して

「民を怯えさせてか!!」

 

という志村の言葉を聞いた時は

 

「この状況で蒙古から守ってくれるんやったら何でもよくない?」

というふうに思ってたのですが

 

堅二の助けで逃げ出した時に

村の人たちから聞こえてくる会話で

 

「殺し方がむごくて、人じゃないみたい...…」

 

と言っているのを聞いた時に

「あぁ、志村の言っていたのはこれだ」

 

と、少し「ハッと」させられました。

 

振舞いからして明らかな正義が勝たなければ

民は安心しない。

 

「正義が勝つ」という事をわかりやすく見せないと

その後の治安にも大きく影響してくるという事は

たしかに容易に想像できますもんね。

 

 

しかし、その後の事を心配できるのも

蒙古を討ち滅ぼし、生き残ることができさえすればの話。

 

そういう意味では

冥人が謀反者としてして捕らえられ、守ったはずの民から怯えられることも

 

それでも慕ってくれる仲間たちがいることも

 

どちらも納得できることだと思います。

 

 

 

 

 

誉れとはいったい?

 

「誉れ」の意味をgoogleで検索すると

・誇りとするに足る事柄

と出てきます。

 

 

対馬の民の為に逃げも隠れもせずに

正々堂々と戦うことはまさに、誇りとするに足る事柄「誉れ」だと言えるでしょう

たとえそこで命を落としてもそれは「誉れある死」だといわれるのでしょう。

 

先にも述べたように、武士としてこういう誉れを重んじることで

民を安心させ、まとめ、導くことができるというのは納得できます。

 

 

しかし、「誉れある戦いを忘れるな」

と仁に説教した志村はその後

 

蒙古に毒を盛った責任をゆなに押し付けるように仁に言います

 

間違いなく、そこに誉れはないでしょう。

仁を自分の跡継ぎにしたいという志村の個人的な感情が優先されています。

 

 

 

エンディング直前で、

「自分もいつか背中を刺されるとは思わんのか。」

と、自分を裏切った仁に言う志村ですが

 

志村自身もゆなに似たようなことをしておいてよく言えるなと

感じてしまいました。

 

もちろん、ゆなは志村の家臣ではないですが

仁を救ってくれた恩人ですし、これまで共に戦ってくれていた人です。

 

 

そもそも、他人に責任を押し付けるような

誉れとはほど遠いことをしようとしていながら

 

最後まで、自分は誉れにまみれているような言動に終始している点に

人の闇のようなものを感じます。

 

 

志村は誉れある武士で、尊敬できるリーダーですが

そんな人でも、大切にする誉れの為に誉れなき行動をとってしまうあたり

とても人間らしいですね。

 

 

信じるものが少し違うというだけ

本質的に冥人とそんなに大差ないように思います。

 

 

 

 

 

 

 

まとめ:誉れにも冥人にも闇がある

 

大義の為に闇を受け入れ、利用する冥人と

自らの闇に眼を瞑り続ける誉れ人。

 

どちらも闇を持っていることは同じです。

 

信じる道が少し違うだけで

父子ですら対立するしかないという、人間の悲しい性質の物語

ゴーストオブツシマのメインストーリーだったのではないでしょうか。

 

 

アングルを変えるだけで、どちらも正しく聞こえ

どちらも間違っているようにも聞こえる。

 

 

このゲームをプレイして、人は争う生き物であるという事を

改めて感じました。

 

どちらかの選択しかできないうちは、人類はこの先も

多くの犠牲を伴いながら争い続けていくでしょう。

 

逆にいえば、どちらでもない新たな選択肢を見つけた時が

人類が進化を迎えるタイミングになるかもしれません。

 

 

 

話がよく分からないところに飛んで、

なかなか収拾がつかなくなってしまいましたが

 

それだけいろいろと考えさせられる

濃いストーリーを味わうことができました。

 

続編とかありえるかな?

もし出たら絶対買いますw

 

 

 

それでは、今日はこのへんで。

 

またねっ。